こんばんは。
今日とても不思議な体験をしました。なんと言えば上手く伝わるのか、そんな必要もそもそも有りませんが、自分にとってこの先にまた有るかも分からないことなので,書き留めてみたいと思います。
時を遡ること多分30年くらい前。僕は一人で水曜夜のドラゴンボールZを見ていました。それはミスターサタンが魔神ブウに媚び入れて味方につけようとするエピソードだったと思います。太ったブウの中から痩せた悪いブウが出てきて、サタンとブウの可愛がっていた犬が前触れもなく殺される、みたいな場面がありました。
それは僕にとって、アニメの中とは言え決して初めての生殺与奪のシーンではなかったはずでした。しかしアニメを見終えた僕は突然、「死とそれに付随する喪失の恐怖」に襲われて大泣きしてしまいました.その時は母が,確か驚いてはいましたが,大丈夫だよと落ち着かせてくれたと記憶しています.理由は未だに自分でもわかりませんが,その時のことを今でも記憶しています.
そしてしばし時が経ちます.僕は昨年祖母を亡くしました.
台風直撃が重なってしまい,とりあえず息子だけ連れて葬儀と火葬に参列するために帰省しました.
もうすぐ4歳になるくらいの彼には,まだ死というイベントが理解できなかったと思います.それでも,僕に付き添ってくれ彼には心から感謝しています.
それから1年と少しが経ち,彼は「死ぬってどういうこと」かを純粋に疑問に思うようになりました.死生観教育については色んな意見があるとは思います.もうすぐ5歳になるくらいの彼にはまだ難しいとはわかっていますが,彼の精神的な成長に必要なことだとも思うので,過度に恐怖心は煽らない程度に,でも事実も濁さない程度に,これまでは聞かれたことには答えてきました.
今日も帰宅が遅めだったので彼はすっかり眠くなっていました.
夕飯を食べ,眠くて機嫌が悪くなりながらも,死について彼が疑問を投げかけてきました.
「ガイコツになったら死ぬの?」「死んだらガイコツになるんだよ」
「死んだら動けないの?」「動けないんだ」
「なんでガイコツになるの?」「お尻とかほっぺみたいにムチムチのところがなくなっちゃうんだ」
「死んだら太陽になるの?」「お星様くらい遠いところに行くのかもね」
「おばあちゃんにはもう会えないの?」「おばあちゃんはまだ元気だよ.ひいおばあちゃんは少し前に死んじゃったんだ.とっても悲しかったんだよ.」
「Keetane(⚠️私です)ももうすぐ死ぬの?」「いや,当分そんな予定ないよ笑」
あんまり細かいところまでは覚えてません.話を終えて,食器を洗い,さぁ歯磨きをしようという時でした.
「Keetane,死んじゃ嫌だよ.太陽に行かないでよ.Keetaneが行くなら僕も行くから.」
そう言って彼は突然泣き崩れてしまいました.
さっきまでの彼に何があったのかを僕は全く知りませんが,彼の中で今,「死への理解の扉」が開き,喪失に対する恐怖に襲われる彼と過去の自分がオーバーラップしたのでした.
おそらく多くの子どもは命に対して純粋無知であるが故に残酷な面を持ち合わせたりしているかと思います.そして,誰がどうやって命について考えるきっかけを持つことになるかは,もちろん人それぞれだと思います.
青天の霹靂というやつですが.今日息子にも,そのイベントが訪れました.
きっかけやプロセスは違いましたが,明確なサインを発したことは僕と一緒でした.
自分も経験していなかったら見過ごしてしまったかもしれません.でも今日彼は確かに,命の尊さに触れたのです.
きっともの凄い衝撃だっただろうと思います.それでも今日のことを彼にも覚えていてほしいなと思いました.
最後に,サカナクションの朝の歌を一部引用させてもらいます.
あとどれくらい君と深く話せるだろう
消し忘れてたテレビの中には海
あとどれくらい君と深く話せるだろう
床に寝転び背泳ぎをしてた
ほら朝が海や空を食べてく
今 君がそれに気がつく
表と裏 隣り合ってた表と裏
君の父親として,あとどれくらい君と話せるだろう.
あとどれくらい君のことを理解してあげられるだろう.
全ては無理に違いない.
だけど,僕にしか理解してあげられないこともあるんだなと知った,そんな秋の夜でした.